PCBの記憶

掲載日:2015.02.26

随分前ですが、学生時代の友人とおしゃべりしていて「PCB騒動の時のこと覚えてる?」と聞かれました。「覚えているよ。エビチリパーティでしょ」私たちが学生だった1970年代の初めのことです。

PCBは19世紀に化学的に合成された物質で、電気の絶縁体などに広く使われていました。しかし、健康について重大な被害が発生し、日本では1970年代半ばには製造や輸入が禁止になっています。

当時、その被害とすでに生産されたものによる環境汚染がたびたび話題になりました。ある日、その海洋汚染の恐怖がニュースになり、水産物が売れなくなるという事態が起きたのです。

たまたま一緒にご飯作って食べようよ、と買い物にでかけた貧乏学生3人。激安のエビに出会い、大量お買い上げ。料理本を見ながらアパートでエビチリを作ったのでした。美味しかったなあ。

「これって、あれだよね」と一応、認識はしていましたが。世間のヒステリックな騒動感にはちょっと引けていた、生意気で食気盛んな私たちでした。やがて人々は再び、魚もエビも食べるようになり、値段は元に戻ったのでした。

20数年が過ぎ、友人は90年代に中古のマンションを購入しました。建ったのはあの頃、1970年初め。数年後、そのマンションの管理組合の役員に当たった友人は、すっかり忘れていた言葉に出会ったのです。

「このマンションの地下の機械室に〈PCB〉が保管されています」という申し送りがあったのです。昔交換したコンデンサーに使われていたもので、国の処理方針が決まるまで、捨てることも使うこともならず、ずっと保管していなくてはいけないそう。

いつ決まるの?と聞くと「わからん。それすら示されていない」と。「あなたが住むずっと前のモノなのにね」「中古だから負の遺産も引き受けろってことかも」と共に釈然としない気分でした。

それからまた20年近く過ぎ。久しぶりに会うと「うちのマンションのPCBが処理できたの」と言われました。数年前に施設ができて、処理出来るようになったのだとか。マンションの年間事業として実行するのに何年かかかったけれど、無事終了したそうです。よかったね!と喜び合いました。

友人のマンションは今や築40数年。処理の方針が間に合わないまま、立て替えることになっていたら、どうだったのでしょう。何せその間には、バブルという大事件もあったのです。あるいは、管理組合が申し送ったり、処理費用を負担する決議をする行動力を失っている可能性もありました。また、災害で建物がそれを抱えたまま崩壊する可能性だって、ないわけではないのです。運がよかったね!と言ってから、ちょっと二人で沈黙しました。