ストーブの思い出
掲載日:2015.12.26
私が「子供の頃(昭和30年代の前半頃です)、冬は薪ストーブだったよ」と言うと、おしゃれなそれを想像して驚く人がいます。
当時の薪ストーブを知っている北国育ちの人は、もちろん驚かず、たいてい懐かしそうにしてくれて、話がはずみます。
我が家は、木造平屋の長屋に住んでいました。社宅だったので、隣近所そろって同じような薪ストーブでした。
鋳物ではなく、板金製でした。上から見ると、大小の二つの円をつないだ変形だ円形をしています。この形のストーブは、今でもホームセンターで売っているのを見かけます。「時計型」というのだそう。まさしく上から見ると柱時計の形です。
大きな円の側面に開き戸がついていて、そこから薪を入れます。反対の小さな円の側面からは、煙筒が出て、いくつかL字パーツを使いながら、外壁の眼鏡石(めがねいし)のところ至り、外に出してありました。
ストーブには短い足がついていて、本体が床に直につかないように出来ています。たいていストーブ台と呼ばれる板金やタイルで作られた不燃性の台の上に置かれました。
ストーブ上部の円の部分は、同心円状にいくつかの輪形のパーツに分かれていて、載せる鍋やヤカンに合わせられるようにもなっていました。日常ひんぱんには使っていませんでしたが、便利です。
狭い我が家では、秋口に狭い茶の間に据え付け、春になると片付けていました。
冬が近いある日、長屋に「薪屋さん」がやって来ます。家の間の空き地に、台のついた丸ノコが設置され、運ばれた丸太が短く切られ、割った(記憶が曖昧)薪が各戸に運ばれます。子供たちも、焚き付けにする木切れを拾い集めてお手伝いします。ノコは終日大きな音をたて、みんな忙しく働いて、子供にとってはちょっとわくわくする1日でした。
薪は毎日、ストーブのそばの木箱に運びこまれます。毎朝、消えた火を親が焚き付けます。マッチの置場所もやり方も、知っていますが、子供はマッチやストーブに触れてはいけないのでした。
ストーブの季節に、子供だけで留守番をさせる親の心配な気持ちは、子供にはわかりませんでした。ちゃんと出来る、始末だって大丈夫なのに、と思ってました。なので小学生になって、初めてマッチを摺った時には、かなり大人になった気分でした。
地域によって違うかもしれませんが、我が家はやがて石炭ストーブになり、しばらくして灯油ストーブになりました。
家族が集まることも多いこの季節、テレビの特番にあきた時には、昔住んでいた家のこと、というような家庭内ドキュメンタリーで楽しむのはいかがでしょうか。若めの家族には、意外と衝撃だったりするようです。説教?自虐?とか誤解されないよう注意しなくては、ですが。