食べ物ではない
掲載日:2014.07.10
数年前今頃の季節、京都のおみやげに「ちまき」を頂きました。
ちまきは春の端午の節句に食べるもの、あるいは中華の美味しいテイクアウトと思い込んでいたので、ちょっと不思議に思いました。京都といえば八つ橋だが、名物ちまきもあるのかな。
ご馳走さまです、とお礼を言った時、下さった人が微妙な表情を浮かべたのが、ちょっと気になりました。
夕食後、新茶を入れ「今日はちまきがあるんだよ」とデザートに取り出す私。おみやげスィーツといえば可愛い箱に入っているものですが、やけにあっさりとした包装です。ビニール袋に入っているだけ。伝統ある本場のものは、本質ではない見かけにはこだわらないのよ、とか言いながら開けました。
10本のちまきがきれいに束ねられ、正面には毛筆で書かれたお札のようなものがついています。
しかし随分、細いちまきです。むいたら中身は小指の先くらいしかなさそう。おまけにこの軽さはどうしたことでしょう?不審に思いながらも、卷かれた藁をほどきかけた時、パソコンのところで何か調べていた夫があわてて戻ってきました。「待て~それは食い物じゃない!」
そのちまきは、京都の有名なお祭り、祇園祭りの時にだけ作られる「お守り」だったのです。
お札に書かれていた文字は「蘇民将来之子孫也」(そみんしょうらいのしそんなり)。
昔、旅をしていた神様が一夜の宿を頼んだ時、金持ちの弟は神様の粗末ななりを見て断わりましたが、貧乏な兄(蘇民将来)は粗末ながらもあたたかくもてなしました。やがて疫病がその地方に大流行しましたが、蘇民将来と家族は健やかに暮らしたそうです。神様は疫病をつかさどる神様だったのです。
それが後世「先祖に免じて病気は勘弁して下さい」という目印に、ちまきを玄関先に下げるようになったそうです。子孫でない人も。
ああ、食べなくてよかった(食べられませんが)。神様に思い切り失礼をしてしまうところでした。そんな無知な家族も、神様は守ってくれているようで、大きな病気をすることもなく暮らしてきました。
我が家の玄関では風変わりなインテリアと思う来客も多いようですが、聞かれるといわれと効能について説明しています。この季節、京都に行った人から「ちまき」をもらっても、食べてはいけません。