私のその日
掲載日:2018.09.11
その日未明、カタカタという物音で目を覚ましました。まだ暗い。
ん?と起き上がろうとした時、家が大きく揺さぶられ、居間の方でガラスが砕け散る音が聞こえてきました。
これはいけない!凍りつく私。
地震だ!!と夫が叫び、暗闇のどこかで警報が鳴り始めました。
TVを見よう、と照明をつけると居間の床に散乱したガラスの破片。
私はスリッパをはかない主義、寝室にはスリッパも上履きもありません。
靴下を探しましたが、TVのリモコンが寝室に近いところにあることに気がつき、取りあえずTVオン。が、やがて停電。
懐中電灯はどこ?暗闇を動くのは危険です。
でも幸運にも、台風に襲われた前日、枕元に「手回し+ソーラー発電機付きラジオ」を置いたままにしていたのです。ライトもつきます。
じこじことハンドルを回してラジオを聞きながら、ベッドで夜明けを待ちました。
2人暮らし、互いが無事でなによりでしたが、家の被害状況はわからず、余震が来るたびに、あらたな恐怖が襲います。
朝が来て、建物は被害はないのがわかりました。
割れたガラスは窓ではなく、オープン棚に並べていた食器類でした。
掃除をして、転がった小物や本を片付けると、気持ちが落ち着いてきました。
意外なことに、旭川で一人暮らしの老母に携帯が通じました。
無事を報告し合い一安心。しかし、携帯はやがてつながらなく。
非常用電源で動かしていた中継局が、ダウンしていったのだそう。
近所の家から「こんな時にナンですが」と何とバーベキューのお誘いが。
冷凍していた肉が傷む前に食べてしまおうという魂胆のようです。少し遅れていったら、アイスクリームはすでに完売。
でもジンギスカンや焼き鳥や根室の塩鮭やら手作りいももちと豪華絢爛(!^^)
情報交換と今後の見通しについて話し合いました。
このあたり断水はしていないのですが。水道の貯水場は近所で、少し上なので重力で配水されるのでは、と思っていましたが。
検討し合った結果「山の上で湧いているのじゃない。山の上まで水を引いてくるのはきっと電力だよね、施設を稼働するにも電気がいるだろうね。貯まっている分がなくなったら断水かも!節水しなきゃ」と。
帰宅後、あわてて汲み置きをしたのでした。
早めに夕食をとり、あかりのない夜を過ごしました。
外に出てみると晴れた星空。
都会の光に汚されていない漆黒の夜空に、銀河と夏の星座が輝いていました。
私は北広島市の郊外に住んでいます。震度は5弱。
電気に依存する暮らしの危うさを痛感しました。
一方、なぜ全道一斉停電?と。
天災はいつか、自然の声として受け止めることができるようになるかもしれません。
しかし、防げたはずの人災は残酷な傷を残します。